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    苦しい時間を過ごしている人も、悩み苦しんでいる人も多くいるにちがいない。

    苦しい時代をともに過ごす者として、声を大にして伝えたい。

    絶対に、死んではいけない。
    何があっても、死んではいけない。
    自ら死を選んではいけない。


    中国の兵法に三十六種の兵法が説かれています。
    その中の一つに走為上(そういじょう)というものがあり、そこから
    「三十六計逃げるに如かず」という故事が生まれています。
    36種類もある戦法の中でも、最上のものだということです。

    なぜ最上とされるかというと、「逃げる」ということには冷静な判断力が必要とされ、勇気ある英断がなければできないからだと、僕は思います。
    「逃げる」ことには、本当に勇気が必要なのです。
    正面から戦うことばかりが、良いことではないのです。

    だから
    逃げていいんです。

    死んでしまうくらいなら、
    逃げていいんです。

    ただし、逃げっぱなしはいけません。
    一度軍を引き、軍を立て直して、再起をはかっていく。
    腰を低く下ろして、低く四股を踏み、人生の足腰を鍛えるのです。
    そして、捲土重来の日々を作っていくのです。

    そのためにも、
    君よ、死んではいけない。
    生きて、生きて、生きて、生き抜くのです。


    辛いことがあったら、僕に話しかけてください。
    僕は寄り添う風になって、君の日々に寄り添います。
    誰が何と言おうと、僕は君の日々に寄り添います。
    君が再び立ち上がり、小さくても一歩が踏み出せるまで、そして歩みを力強く踏んでいけるまで、励まし寄り添います。

    だから、
    君よ!
    死んではいけない!
    自らのいのちに深い傷を負わせてはならない!
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    2020.01.01 / Top↑
    思い起こしてみると、僕には2度ほど陣痛に耐え唸る女性の姿を目近にみてきた。

    一度目は、3人いる弟のうち一番下の弟を産む母の出産の時。
    僕が18歳の時だ。

    当時の我が家の経済が逼迫していたこともあり、母は自宅出産に踏み切った。
    僕を取り上げてくれた産婆さん(助産師)が弟を取り上げてくれた。
    当時僕ら家族が住んでいた家は2階建てで、2階には4畳半の和室があった。
    そこで弟は産声をあげた。

    その日、父方の祖母が来ていて、祖母の陣頭指揮の下、お湯を沸かしたりバスタオルを出したり、はじめの頃下の部屋の和室で横になり唸る母の腰をさすったり、上の弟二人の世話をしたりしていた。
    産婆さんがやってきて、父は母に助けられながら、2階にあがっていった。
    母は当時15歳だった妹と父を呼び寄せ、妹が母の手助けにはいった。
    不安な面持ちで、妹は上にあがっていった。

    下では、階段越しの母の唸り声が聞える中、僕は弟たちの食事の世話をしたり、家庭の「異変」になかなか寝つかない弟を寝かしつけたりしていた。
    祖母はお湯を沸かしたり、握り飯や僕らの食事をつくったりと忙しそうに立ち振る舞っていた。
    不安と期待がないまぜになりながら、夜は更けていった。

    朝方近くだったと思う。
    「うんぎゃー!うんぎゃー!」
    と小さな声が聞えた。

    2階から妹がどたどたと「産まれたよ!産まれたよ!男の子!」と階下の部屋に駆け下りてきた。
    祖母と僕は手を握って歓びの声をあげた。
    直ぐにあえると思って僕が2階に行こうとすると、妹が「お兄ちゃん、だめっっ!まだ、いろいろあるからだめだって!」と制止されてしまった。
    祖母はうんうんと肯いていた。
    「まだね、いろいろあるんだよ…、お産ってのは。」

    妹のたてた騒音と歓声に、目を醒ました弟がきょとんとして、空を見つめていた。
    僕はそっと抱き上げて、「弟が産まれたよ。」といったが、よく情況がわかっていなかったようだ。
    僕に抱かれながら重い頭を僕の肩に乗せながらすぐに眠り込んでしまった。

    ちょっとして、父がバスタオルにくるまれた赤ん坊を連れてきた。
    祖母は「お~お~、よくがんばったねぇ…」と目を細めてふうわりと赤ん坊を抱いた。
    「ほら、お兄ちゃんだよ」といって、僕に抱かせようとした。
    僕は一瞬ひるんだけど、「ほら!」と祖母に促されて、生まれたての弟を抱いた。

    赤ん坊は真っ赤でしわくちゃで本当に猿みたいだった。
    おどおどと抱く僕の抱き方が悪いのか、猫みたいに細い声で「んぎゃ、んぎゃ・・・」って啼いた。
    むずかって、足や手をふにふにと動かした。
    小さな弱々しい力で僕の腕を蹴った。
    小さくて小さくて、こわれてしまいそうで、僕は恐くなってどうしいいかわからなくって不安にしていると、祖母が抱きうけながら、「お~、お~、ちゃんとお兄ちゃんに挨拶してるんだねぇ。」と弟にほお擦りをして、父に抱きわたした。

    その後、祖母に促され眠り、昼過ぎに母に会えたが、母は顔を真っ赤にして、処々内出血したように赤黒くしながら眠っていた。
    隣で、生まれたての赤ん坊もすやすやと寝ていた。

    ・・・ ・・・ ・・・

    もう一度は妹が姪を産む出産前日・前夜。
    実家のウチに帰ってきて、妹も陣痛の痛みに唸っていた。
    母がずっとそばにつき、腰をさすったり、足をもんだり、のたうつ妹の手助けをしていた。

    祖母はもう他界していた。
    隣で彼女の夫が手を握り、汗を拭き、一緒に肩で息をしながら汗を流していた。
    看護師をしていた母は妹につきっきりだったから、夜勤明けだった僕と仕事から帰ってきた父とで母の指示に応えたり、まだ小さかった弟の世話をしたりしていた。

    心配だが、なにもできずに、ただただ手をこまねいていたりしたりすると、「父さんと兄ちゃんはしっかり弟の世話してて!」と母から叱正をうけたりした…(´・ω・`)ショボーン

    陣痛の間隔を診て、母は病院に電話したりして、やがて妹は夫とともに産院へ車で向かっていった。

    長い長い夜だった。
    ただ電話が鳴るのを待っていた。
    何も手につかず、父と二人で黙りこくって居間で電話を待っていた。

    ふっと、電話が息を呑んだような気配がしたかと思ったら、けたたましく鳴った。
    父と僕は、一瞬見つめあい、ガバっと立ち上がった。
    勢いあまって、僕はコーヒーマグをぶったおし、父は座卓に膝を強く打ちつけた(笑)
    膝を抱え抱え、父が受話器を力任せにとったものだから、電話機が台から落ちる始末(笑)

    「うん、うん…。…、そうか、そうか…。生まれたか…。女の子か…。うん、うん…。『よくがんばった』と伝えてくれ。こっちは大丈夫だから。うん、うん…。」
    電話で話す父の目には光るものがあった。

    翌日産院へ行き、妹と姪に面会した。
    姪を抱かせてもらったけど、3人の赤ん坊(弟)をこの腕に抱いてきたのに、やはり、小さくてはかなくてこわれてしまいそうで、恐かった。
    妹も顔を真っ赤に腫らして眠っていた。

    … … …

    あのはかなさ、いのちをこわしてしまう恐れを感じるということは、僕に潜在的に大きな影響を与えてきたように思う。
    いのちを産み出すということが、どれほどのパワーと痛みをともなうものか、直に見るということも。

    そして、男なら死んでしまうと伝え聞く苦痛の果てに生まれたいのちを抱くよろこびがどれほど深いものかということも。

    この2回の経験は、僕にとって、実地の「いのちの教育」だったように思えるのだ。
    2012.08.14 / Top↑
    my newborn nephew

    昨日、11日の朝に生まれた甥に会ってきた。
    1週間にもわたる微弱な陣痛のはてに生まれた、新しいいのち。

    義妹を褒め称えた。
    あの小さな体の何処にいのちを産み出すパワーが潜んでいたのだろう。
    付き添いで出産に立ち会った弟は何もできず、ただただ励まし続けるしかなかったという。
    男なんて所詮そんなものだ。
    励まし、守ることしかできない。
    何万年も続いてきたいのちの摂理。
    それでいいのだろう。

    新たに生まれたいのちを抱かせてもらった。
    硝子細工のようで、軽くってはかなくって、恐くなった。

    かわいい!
    かわいい!
    どうしようもなく、かわいい!

    僕には今年成人した姪がいるのだが、彼女をこの腕に抱かせてもらった時とは違う感覚だ。
    自分の命と引き換えにしてもいい、とか、目に入れても痛くないとはこの感覚をいうのだろう。

    姪も抱かせてもらったときも、どうしようもなくかわいかったのだが、それとは違う感覚。
    姪をいたぶるものは、このいのちを引き換えにしてでも、戦い破滅させてやる!という気持ちはあるのだが、この新しいいのちに対するものはもっと深いように思える。
    なぜなのだろう。

    きっと、僕自身が変わったのだろう。
    いのちの果てのない深さと巨大さを感じ、いのちをいとおしみいつくしむ深さがかわったのだろう。

    My newborn nephew, YOU'RE WELCOME!!!
    おじちゃんは君たちが幸せに暮らしていけるよう、努力を惜しまないよ!
    2012.08.13 / Top↑
    == youtube/ “消灯飛行”松任谷由実 ==


    ユーミンは短編映画のような風景を描くのが得意で、それが彼女の最大の魅力の一つだが、この曲もその代表の一曲。

    この曲を聞くと、学生時代に惚れて惚れて惚れぬいた男がオーストラリアに旅立つときに行った成田空港を思い出す。
    柱の影から見送った切ない恋だった。

    この歌の主人公は翼の上。
    僕は見送る地上の人だった。

    あのとき、彼の乗った飛行機が旋回したときに放った銀の閃光は、今も脳裏にしっかりと焼きついている。
    2012.02.05 / Top↑
    2012年が始まりました。
    今年もよろしくお付き合いくださいませ。

    すっかりブログの更新が途絶えてしまいました。
    ツイッターでのつぶやき140字は軽快で、そして、考えていることを短くダイレクトにタイムリーに伝えられるので、ついついそれで満足してしまっていました。
    ブログは書きたいこと、伝えたいことを大きく膨らませ、そして詳しく事細やかに伝えるにはもってこいです。
    けれど、書きなぐってしまうこともできず、書きたいことをまとめて推敲をしなくてはならず、仕事が忙しさも手伝い、心の余裕が無くなっていたのも絡みあって、その上、普段使っていたブラウザの設定かアドインのせいで更新ができなくなってしまっていたこともあり、ついブログから遠ざかってしまっていた。
    心を寄せていただいて方もいただろうに、申し訳なかったです。

    もっと肩の力を抜いてブログの更新をしていこうと思っています。
    とはいっても更新は滞りがちになるかも(汗)
    どうぞよろしくお願いします。

    + + + + + + + +

    31日大晦日、焦点が絞りきれない(ま、仕方が無いんだろうけど)ごった煮の紅白を見て、風呂の中でふやけながら年を越え、「生さだ」で佐渡裕を見てホッコリして、眠りに落ちた。
    いつもどおりの、毎年お定まりの、だから安心して新しい年が始まったのを感じながら眠りに落ちることができました。

    朝、目覚めると、雲ひとつ無い透きとおった真っ青な空にまばゆい太陽が勢いよく昇っていた。

    蒼天をつらぬく初日赫々と
    太陽はいつも輝いている。
    強く強く、明るく明るく、赤々と。
    その強き光は僕の心の中にも眠っている。
    あの莫大なエネルギーが確かに眠っていることを感じながら、初日の出を仰いだ。

    ヒーターのほむら消したり初日の出
    東向きの窓から入る陽射しは強く暖かく、どんどん自室を暖めていく。
    先ほどまで、赤々と燃えていたヒーターの火がどんどん小さくなり、気がつくと消えていた。
    部屋はだんだん暑いくらいになり、着ていた綿入れのちゃんちゃんこを脱いだ。
    やはり、太陽は偉大だ。

    正月三詠と思ったが、ネタがきれた(笑)
    テレビから、賀詞が次々と繰り返し繰り返し告げられる。
    被災地の方々はどんな思いでこの賀詞を聞いているのだろうかと思った。
    気にしすぎても失礼だし、配慮無くあっけらかんとしても人間性を疑われるだろうし、そこまでの阿呆さを僕は抱えていない。

    17文字でこの気持ちを詠うには短すぎる。
    一部jabequeさんのご指摘を受けながら、川柳っぽいなと思いながら31文字にまとめた。
    年賀辞を言ってよいのか悪いのか少しためらう初日の出かな

    俳句・短歌を取り混ぜながら、初めて正月を3つ詠うことができた。

    + + + + + + + +

    ちょいと伯父の家へ年賀の挨拶に出かけ、帰宅した。
    夕刻には従兄・従姉たち・弟夫婦が来ることになっていたので、母の支度を携帯片手にツイートしながら手伝った。
    従兄・従姉たちが、弟夫婦が程なくやってきて、急に居間が狭く賑わしくなった。
    義妹が少し青い顔をしてだるそうな表情をしている。
    「体調わるいの?」と聞くと、弟が割って入り「兄ちゃん、布団敷くから手伝って!」と言う。
    「え!もうかい!?」と聞くと、「いや、妊娠しているみたいなんだ。」
    え゛~~~っっ!
    素っ頓狂な声を出してしまった。
    その声を聞いて、母や従兄たちや一番下の弟が何事かと次々に顔をだした。
    「っちょ、ちょ!あの、うげ、あの…」と僕が慌てていると、弟が「いや、まだはっきりしていないんだけど、こいつ、つわりみたいなんだ。」
    「え゛~~~っっ!」皆驚いて素っ頓狂。
    母は持っていた皿を落としてしまいそうになり、慌てる始末。
    「いえ、まだ、はっきりしていないんですけど…。4週らしいんです。」
    「だから、言えなくてね。」

    喜ばしい知らせに食事の座はわいた。
    酔いもまわってき、うれしくてうれしくて泣けてしまった。
    泣いていたら、また、「自分のことじゃないでしょ」と哂われてしまった。
    「そうだね、そうじゃないんだけど、涙が出てきてさ…。」と泣き笑い。
    「まったくもう兄ちゃんらしいね」とまた笑われた。

    新しいいのちの知らせは家族みんなに幸せな思いをもたらしてくれた。

    + + + + + + + +

    気がついたら、うららかな陽気の公園にいた。
    色とりどりの花が咲き、芝生が青々と輝き、木々は緑をしたたらせていた。
    小鳥が囀って、清かな風が吹き、穏やかな陽光がふりそそいでいた。
    来たことがあるような、でも、初めてここに来たようなデジャヴを感じながら、僕は居心地の良いベンチに座っていた。
    腿のところに無造作に置いていた左手に誰かの右手が添えられた。
    ちょっと驚いてふりむくと、大輔が微笑んでいた。
    「あ…。」
    「久しぶり。元気だった?」とにっこり笑った。
    「うん。元気。大輔も元気そうだね。会いたかったよ。」というと、大輔は優しくハグしてくれた。
    「歩こうか…。」

    「ねぇ、ここ、来たことあるんだけど。」
    「そっか?俺は初めてだけどなぁ。他の誰かと来たんじゃないの?」
    「え…。いや、そんなことない。」
    「嘘つくとわかるんだよな。鼻がヒクついてる(笑)」
    「え…、そう?」
    「うん、自分で気がつかなかった?(笑)」
    「いや・・・、わかんないんだ。誰かと来たような気がするんだけど、初めて来たような気もするんだ。」

    公園には素晴らしい日和だというのに誰もいない。

    「ねぇ、腕組んでいい?」
    「別にいいよ。」
    「一度こうやって歩いてみたかったんだ。」
    「そうだよなぁ。できなかったもんなぁ。」
    いつの間にか僕らは半袖で、腕を組むとぬくもりが伝わってきた。

    いろいろ話した。
    なんか支離滅裂な話。
    マクドナルドの話、誰か芸能人の話、宇宙人の話・・・。

    「なぁ、ハムさ。」
    「うん?」
    「まだ…、だめか?」
    「何が?」
    「誰か気になるひとできたか?」
    「いや…。」
    「あ!また嘘ついてるな。鼻がひくひくしてる(笑)」
    「そんなことないって!」
    「慌ててる。(笑)
     正直に言えよ~。
     言っただろ、自由になれって。」
    「なれるわけ無いじゃん。」
    「でも、気になるヤツはいるんだろ。
     
     いるんだろ?
     知ってんだよ、俺。

     この前から何度か車に乗せて送ってもらってる田中さんとか。」
    「…。」
    「ほら、図星だ。わっはっは!」
    「いや、大輔。俺は大輔じゃないと嫌なんだよ。」
    「でも、この前の夜もまた会えないかなぁって、後ろから来る車を気にしてた。」
    「え…。」
    「んで、停まってくれて、やった!って思ってたろ。」
    「見てたんかいっ!?」
    「そりゃね。俺はさ、自由だから。
     車の窓を覗き込むハムのあの笑顔を見てた。」
    「…。」
    「だぶん、いいやつだよ。きっと。」
    「でも、ノンケだよ、たぶん。」
    「ほら、予防線張ってる。」
    「もう嫌なんだ。苦しい思いするの。」
    「ごめんな。俺のせいだ。」
    「いや、違う。」
    「いいや、違わない。俺のせいだ。
     
     俺は嫌なんだよ、そんなハムを見てるの。」
    「ずるいよ。大、ずるいよ、会いに来てほしい時には来てくれない。」
    むしゃぶりつく僕の背中を大は撫ぜてくれた。
    「どうして、こんなふうにでてくるのさ。」
    「ごめんよ。でも、ハムが迷ってるから。」
    「迷ってなんかいないよっ!」
    「嘘。迷ってる。」
    「迷ってなんかいないってば。大輔が悪いんだ。大が急にいなくなるから。」
    「ごめんよ。ごめんよ。」
    「なんで急にでてくんのさ。」
    「ハムが大事だから、さ。
     気持ちが動いているのに、抑えようとしてるから。見てられなくて。」
    「キスしてよ。」
    「いや、しない。」
    「してよ!」
    「しない。ハム、淋しいときはいっつもキスしたがったから。」
    「違う。大好きだからだよ。」
    「しちゃったら、ハムは前に進めなくなる。」
    「いいから。それでいいから。」
    「だめだ。前に進むんだ。俺がちゃんと見てるから。」
    「見てるだけじゃいやだ。」
    「ほら、しゃんとして。そんなんじゃ、幸せつかめないぞ。」
    「大に会えれば、幸せだよ。」
    「俺はいないんだ。わかってるだろ。俺はいないんだ。」
    「ここにいるじゃん。」
    「もう会いにこないほうがいいな。心配だから来たのが間違ってた。」
    「いやだ!来てよ。何度でも来てよ。」
    「いや、これが最後にする。」
    「うそ、いやだ。いやだ。」
    「ハム、俺は見てるからな。そばにいるからな。」
    「いやだ。」
    「そばにいるから。前に進め。俺はここにいるから前に進め。」
    「いやだぁ…!」

    「おい!おいっ!」
    揺さぶられて目を開けると従兄の顔が見えた。
    「何が嫌なんだ?なんか悪い夢見てるみたいだから起こした。」
    「う…。」
    うすボケた視界に目覚まし時計の青い光が映った。
    5時半だった。
    涙が目尻を流れた。
    「お前の寝言酷いなぁ(笑)

     おぉ、寒っ!俺は寝るからな…。」
    ごそごそと蒲団に従兄は戻っていった。
    常夜灯が時計の秒針を照らしていた。

    もう一度、もう一度大輔に会いたくて、目を閉じて、眠りがやってくるのを待ったけど、眠りはやってきたけど、もう大輔にはあえなかった。

    朝食の食卓での話題は僕の寝言だった。
    おどけながら一緒に笑っていたけど、僕は気持ちは疼いていた。

    耳の底に残る。
    大輔の声が。
    「そばにいるから。前に進め。俺はここにいるから前に進め。」

    それが初夢。
    2012.01.02 / Top↑
    若者よ!
    いや、全ての男よ!

    気恥ずかしくて、なかなかいえないけれど(笑)、お母さんや妻をいたわり、感謝する小さな言葉を一日一回伝えてみてはどうだろうか。
    きっとそれだけで豊かな毎日を送ることができるはずです。

    妻がいなくても、死ぬような思いをして君を産んでくれたお母さんがいる。
    写真でもいい。
    心の中でもいい。
    「ありがとう」と口にすることで、強く強くあることができ、それゆえに豊かな毎日を過ごしていくことができるはず。

    男どもよ!
    女性に感謝しようではないか。
    そして、その小さな一言が大きな平和を創りだしてゆくことができる畢竟の秘訣なのだということを、心に留めようではないか。

    == youtube / かりゆし58「アンマー」==


    2011.10.24 / Top↑
    僕には空が落ちてこようと、地が宙に浮こうと、太陽が西から昇ろうとできないことがある。
    それは子を宿すということだ。

    大輔が睦みの最中に「俺の子を孕め」と耳元でささやくことが多々あった。
    睦み事の最中だから、押し寄せ飲み込まれている快感の渦の中で、僕が何と応えていたのかは覚えていない。
    いや、覚えているのだが、素面でここに書くことはとてもできない(苦笑)

    塩野七生がエッセー(「男たちへ」『再び、嘘の効用について』)で、嘘であっても「愛している」と男にいわせてみてはどうだろうかという戦術を通しながら、以下のように述べている。
     人間というものは、いかに心の中で思っていても、それを口にするかしないかで、以後の感情の展開がちがってくるものである。なぜなら、心の中で感じているうちは、自分の耳で聴くことはないのに反して、いったん口にすると、誰よりもまず自分が聴くことになる。つまり、言葉というはっきりした形になって、頭に入ってくるということだ。男は、絶対に、彼自身の頭脳を通過したことでないかぎり、彼自身の心に定着させない。
     だから、どれぐらい真実がふくまれているかどうかは、問題ではないのである。口にして以後、真実がふくまれはじめてくるのだ。
    <中略>
     そして、男は二度目に同じ「言葉」を口にするようになった時、最初の時のためらいを、必ず少しばかり忘れているはずだ。そして、三度目、四度目。男は、いつのまにか、彼自身も意識しないうちに、相手の女をほんとうに愛していることに気がついて、誰よりもまず彼が驚くだろう、
     内容と外容の微妙でめくるめくばかりの展開の様(さま)がそこにある。

    人は「願望」という形で心に思い描き感じている真実を口にするものだ。
    睦みごとの快感を増幅させるものであったにせよ、ありえないこと・絶対不可能であったにせよ、大輔は僕との間に子供をなし、育んでゆく生活を夢見てくれていたのだ。
    それは僕の願いの真実でもあったのだ。

    僕が女性であれば、それは実現可能なことだった。
    しかし、もしも女性であったら、大輔と出会うことはなかっただろう。
    そして、あの満ち足りた、この上なく満たされ、そして、それさえあれば生きていけると思えるほどのこの思いを抱いて、日々週々月々をすごしていくこともできなかったであろう。

    けれど、やはり、思うのだ。
    女性とはなんと素晴らしいのだろうかと。
    子を産めるということはなんと素晴らしく、不思議なものであろうかと。
    生命(いのち)をその身の中に育むことができるということの素晴らしさよ!

    全てのお母さんがいなかったら、全ての命は生まれてこない。
    その偉大なる特長をもっているだけで、女性はすばらしいのだ。
    生命のゆりかごは宝浄世界の異名を持つ。

    もしも、僕がゲイでなくストレートだったとしたら、どうだっただろう。
    こんな風に、実感をもって、女性であることの素晴らしさを感じることもなかったかもしれない。
    いや、普通に女性と結婚をし、子をなし、育てていたかもしれない。
    そして、日々大きくなっていく妻のお腹を見ながら触りながら、不思議なゆりかごを感じていたかもしれない。

    とまれ、僕はゲイであってよかったのかもしれない。
    そう思わせてくれる日々を大輔は残してくれた。
    大輔に出会ったがゆえに、闇に閉ざされた日々もあったが、今そう思う。
    2011.10.24 / Top↑
    == youtube / 「うれしくてさみしい日」竹内まりや ==


    僕には、年の離れた3人の弟がいる。
    随分前に書いたとおり、亡くなった父と母の間に産まれた弟たちだ。
    僕と妹は母の連れ子だから、父にとっては養子。
    けれど、父は我が子と全く変わらない愛情を僕らに注いでくれた。

    昨日はその長弟の結婚式・祝賀会だった。
    父のかわりには到底なれないのだが、もしも父がいたらそうしただろうと思われることを精一杯つとめた。
    けれど、やはり、「地」は出てしまい、抑えても抑えても抑え切れなくなってしまい、何度か涙を流してしまっていた。

    歌・曲のせいもあったように、思う。(と、泣き虫おやぢは自己正当化する。笑)
    結婚式の入場の時にかかった“You raise me up”で、まず抑えていた鍵が外れてしまった。
    「感謝」を表現したこの曲の詩は、心を揺さぶらずにはいられない。

    この長弟は心臓に障害を持って産まれた。
    いまでこそ、その影も形も無く元気にしているが、乳飲み子の頃は泣かさないよう、むずからないよう、心を随分はらったものだった。

    いろんなことがあった。
    本当に、いろんなことがあった。

    祝賀会で、新郎新婦の生い立ちを紹介するフォト・ムービーが流され、それを黙って見ていたら、走馬灯のように万華鏡のように、いろんなことが思い出された。

    暫く前に、ツイッター経由で
    わが弟(おと)が秋天指さすモスラ雲
    と俳句を読んだが、この弟と遊んでいて、真っ青な秋の空に天女の薄絹のように流れる白い雲をお指さし、「モスラの雲だ。モスラの雲だ。」と下の弟たちとはしゃいでいたのを、不意に思い出したものだ。
    自転車の前のカゴに下の弟を、後ろの荷台にこの長弟を乗せて、気持ちよい春のピクニックに行ったこともある。
    3人の弟たちを連れて、地下鉄と路面電車とロープウェイとリフトに乗せるため、札幌の藻岩山へゴールデンウィークに出かけたこともある。帰りの電車ではしゃぎ疲れ3人とも眠ってしまい、起こすのに随分難儀した。
    大きくなってから、意見の衝突から取っ組み合いのけんかもしたことがある。

    本当に、いろんなことがあった。

    友人たちに囲まれ祝福され、これ以上は無い満面の幸せな弟の笑顔を小さな写真スタンドの父にそれを見せながら、父に見せてやりかったと思っては、涙。
    花束贈呈で滂沱と涙を流す母を見ても、涙。

    「泣き虫兄ちゃん」は今までそうしてきたように、そしてこれからも、母の、妹弟達の、家族のために、いくらでも泥水を飲んでいくぞと強く強く心に決めたんだよ。

    可愛くて可愛くて仕方が無い弟が巣立ち、新しい人生を大事な大事な人と歩み始めた日。
    うれしさとさみしさがないまぜになった、一言では表しきれなかった日。

    そして、新しい記念日が僕ら家族に増えた日でもあった。
    2011.10.09 / Top↑
    僕の今の仕事は、工業系で自動車部品の製造の仕事。
    この夏の節電対策の為に、木曜日と金曜日が休日だった。

    「だった」と書いたとおり、今月からノーマルルーティンの土日休日に戻ることになった。
    そのシフト調整の為に、ちょっとした秋休みになっている。

    まぁ、この先将来も、とりあえず直近のこの冬も、節電対策でいつどう休みが変化するのかわからないから、気持ちの準備だけはしている。

    で、折角の秋休みをどうすごそうかと考えていて、ツイッターでの呟きの通り、ずっとずっと棚上げにしてあった普通電車でガタゴトゆっくり旅をしようと思い立った。
    書店に行き、時刻表とその真横に並んでいたガイドブック的なものを買って、そのガイドブックに乗っている旅程をすこしだけ調整して、願ったり叶ったりの旅程を昨日つくって、かなり満足していた。

    ちなみに旅程を書くと。

    僕の街の駅 0700前出発

    小樽      0836到着
              散策(もしも北一硝子が開いていたら、灯油ランプか灯油カンテラを購入)
             0944出発

    余市      1008到着
              少し早いけど昼飯(ファミリーすしガーデンという、凄すぎる寿司ランチを堪能)
                <ちなみに、寿司は積丹半島の町のものが小樽よりうまいと僕は思ってます。>
             1244出発

    長万部     1515到着
              駅前近くの温泉ホテルにある日帰り温泉で一風呂浴びる。
              同じく、駅前にある有名なカニ飯駅弁を夕食に購入。
              1737出発

    東室蘭     1912到着
              本当はボルタ君がほしいんだけど、無理っぽいので断念。
              駅前近くの焼き鳥店でやきとり(豚精肉なんだけど、北海道では『やきとり』といいます。)と、ビールをコンビニあたりで買う。
              室蘭はやきとりをからしで食べるので有名なのです。
             2040出発
              乗車後やきとりをアテにぷしゅっとな!

    僕の街の駅  2230ごろ到着

    JR北海道の「一日散歩きっぷ」(指定区域内の普通電車一日乗り放題)で乗車券代金は\2,200-。
    食事代なんかをあわせて、\7,000-~\8,000-ぐらい、まぁ\10,000-でおつりがくるだろう旅行でした。

    jabequeさんに、「完璧なプランですねぇ!」とお褒めいただくくらい、本当に「普通電車でガタゴト・温泉・食事」と三拍子そろって僕自身も満足の旅程だった。

    * * * * * * *

    もう完璧ともいえる旅程作成に自己満足して良き夢を見て、今朝目覚めてぼんやりと居間でコーヒーを飲んでいたら、母が「あ、兄ちゃん、昨日あんたが出かけている間にねぇ、トモ(この秋結婚する長弟)から電話があってねぇ、なんだか結婚式のことで用事があるから、先方のご両親といっしょに来るって、電話があった。」
    びっくりして「いつっ!?」って聞くと、
    「明日だって。あんた、でかけないでしょ。」
    「昨日のうちにいってくれよぉぉ!」
    「え、でかけるつもりだったの?」
    「いってなかったけど、なにもなかったから、予定立ててた。・・・・、でも、それじゃ行けないよなぁ・・・。」とつぶやくのを聞いているのか聞いていないのか、母はたたみ込むように、
    「で、今日お菓子とか買いに行かないといけないから、いっしょに買い物にいって。」とのたもうた。

    仕方がないよなぁ…。
    泣く泣く、普通電車ガタゴト旅行を断念せざるをえなかった。

    まぁ、いいさ。
    旅行は逃げない。
    長弟の結婚式が済むまで落ち着かないし、落ち着いてからでも遅くはないのだから。

    * * * * * * *

    で、母とこの街の老舗の菓子店で洋菓子・和菓子をとりそろえ、ついでにショッピングセンターへ行った。
    母にはもろもろ買い物があるようだったし、土曜日でごった返す店内を菓子の箱を持って歩くことに不安があったので、僕はエスカレータ下にある休憩所で、母を待つことにした。
    近くにドーナツ屋があるので、そこでキャンペーンディスカウントのドーナツを2・3個をテイクアウトして、テーブルに載せたコーヒーをすすりながら、ぼんやりしていた。

    まだかなぁ…などと買い物の長い母を少しイライラしながら待っていると、走ってきた女の子が満面のニコニコ顔で、僕の前のテーブル向こうに立った。
    「こんにちは!」

    可愛い女の子に、ちょっと憶えが無い。
    キツネにつままれたような顔をしていたに違いない。
    「おじちゃん、リカのことわかる?」
    「ごめんね。わからないや。僕で間違いない?」
    「うん!だって、おじちゃんの顔、リカ、ちゃんと覚えてるもん!」と、ニコニコしている。
    「そっか~。」と、僕が記憶の抽斗のあちこちを開いてぐちゃぐちゃになった中身をあれこれ引っ掻き回して探していると、見覚えのある女性と高齢のおばあさんが女の子の背後から、これまた、笑顔で僕のほうに近づいてきた。
    「誰だっけ・・・。」
    慌ててしまって、抽斗の中は余計にぐちゃぐちゃになってしまった。

    女性がリカちゃんの横に立つと、リカちゃんは「ママ、リカのいうこと間違いないでしょ。」っと女の子は自慢げにしている。
    「あの…。」と僕が言いかけたところ、女性とおばあさんが「その節はたいへんお世話になりました。あの時、タクシーに乗せてもらって、本当に助かりました。」と頭を下げた。

    「あ・・・っ!あぁぁぁあ!いえ、あの・・・。」
    僕はびっくりして、しどろもどろ。
    急に立ち上がってしまったので、テーブルに体をぶつけてしまい、コーヒーがこぼれそうになった。
    そう。
    あの時の家族だった。
    やっと、僕も合点がいった。
    「いやぁ、お元気そうで、なによりです。」

    「突然で本当にすみません。この子ったら、『あのおじちゃんだ!』って急に走って・・・。」
    「リカはずっと、『あのおじちゃんにあったら、ありがとうっていうんだ』っていってたんだよねぇ。会えてよかったねぇ、リカ。」とおばあさんがリカちゃんに話しかけた。
    「うん。おじちゃん、ごめんなさい。リカ、あの時『ありがとう』って言わなくて。」
    「リカちゃんっていうんだ。そんなこと、気にしていたんだ。別によかったんだよ。」と僕がいうと、
    リカちゃんは「ううん、だって、ママ、あの時、『いい人にあった』と泣いていたんだもん。リカ、それ聞いていたら、ちゃんと『ありがとう』って言っていないって思ったの。だから、おじちゃん、ママとリカたちを助けてくれて、ありがとう!」と、リカちゃんはぺこりと頭を下げた。
    僕は感動してしまって涙が出そうになった。
    「リカちゃん、ちゃんとおじちゃんを憶えていてくれてありがとう。」と僕も頭を下げた。
    「リカちゃんをわからなくってごめんね。今日はママと買い物なの?」と聞くと、「うん、学校のノートを買いに来たの。」と元気よくリカちゃんは答えた。
    「そうか、この街の学校に通っているんだ。何年生?」
    「2年生。」
    「学校、楽しい?」
    「うん、マコちゃんとかレイちゃんとかいてね、楽しいよ!」
    「そうかぁ、友達もできたんだ。よかったね。」というと、「ね、ママ。みんなでこの前リカの誕生日したんだもんね」と嬉しそうに
    おかあさんに話しかけるリカちゃん。
    「こちらの街で本当によくしてもらって、市営住宅をお世話してもらって、必要な家具までみなさんに揃えてもらって、パートですけど仕事も紹介してもらって・・・。」
    「そうですか・・・。」
    僕は空いていた席を勧めた。
    「宮古の家も流されてしまいましたから、むこうに残ってる主人もこちらに来ようかどうか、悩んでいるんです。でも、仕事のことがありますので…。向こうが落ち着いたら戻りたいとは思っているんですけど…。」
    「本当に、本当になんて…、どういってよいのか、わかりません。」
    「あ、私ったら・・・・すっかり・・・。」
    「じゃ、まだ当分こちらに…。」
    「ええ。向こうに帰っても、親戚の家に厄介になることになりそうですから。」
    「長い道になりそうですね。」
    「海が怖いのに、波の音が恋しいんです。ねぇ、おかあさん。」
    「そうねぇ。ほんとうにおっかない。でも、みえんとさびしい。」
    「この街には海はないですから。」
    「でも、広いですよねぇ・・・。道がまぁっすぐに伸びて点になって消えてしまうのは感動しました。」
    「あ、あれはまさに北海道ですね。」

    そんなことを話しているところに、母がやってきた。
    リカちゃん家族を訝しがる母に、出会いの発端を話した。

    「息子さんには大変お心使いいただいて・・・。」と挨拶するリカちゃんのおかあさんに、母は「大変でしょう。お知り合いも少ないでしょうし、これもなにかのご縁ですから、今度ウチへ遊びにいらしてください。なにもおかまいできないでしょうけど。私もたくさん苦しい時がありました。どれほど声をかけて励ましてくれるのがうれしかったか。」といって、ハンドバッグからメモとペンを出すと、僕に住所と電話番号を書くように言った。
    大胆な母の行動に圧倒されてしまい、僕は考えることもなくメモを仕上げた。
    母はそのメモを、「辛いときは助け合っていきましょう。ひとりじゃできなことも、助けがあれば、やっていくこともできますから」
    といって手渡した。

    「ありがとうございます。」と、リカちゃんおかあさんとおばあちゃんは深々と頭を下げた。
    「ねぇ、ママ、ノートぉ」とリカちゃんが伸びをしながらお母さんにすりよった。
    「あ、ごめんね、リカちゃん、おじさんがママを引き止めちゃった。」
    「必ず来てくださいね。」と母。
    「ねぇ、ママぁ・・・。」
    「ありがとうございます。うかがわさせていただきます。」
    「リカちゃん、おじちゃんちに遊びにおいでよ。あ、でも、ゲームもなにもないや。」
    「うん、リカ、行く!」
    「必ずね。」

    そういって、リカちゃんはおばあちゃんの手を引いて人影に消えていった。
    お辞儀をしながら、おかあさんも消えていった。

    「リカちゃんっていうのかい、可愛いねぇ。」母は目を細めながら、おかあさんを見送った。
    「遊びにきてくれるといいね。」
    「ところで、何ていう名前なんだい、リカちゃんは?」
    「え!? 知らない」
    「なんだい、お前、聞いてなかったんかい?バカだねぇ。」
    「本当だ。バカだなぁ、俺。でも、良く確かめもせずに母さんもバカだよなぁ」
    「本当だねぇ」と母も僕も笑った。

    リカちゃんは、リカちゃんおかあさんは、おばあさんは来てくれるだろうか。
    来てくれたらいいなぁ、と思っている。
    2011.10.02 / Top↑
    拍手コメントへのご返信。

    コメントを書いた方も内容を忘れちゃってるかも・・・・。
    遅くてごめんなさい。

    「死のうかと汝が請いたるや潮の花」】へコメントを頂いた方へ

    そうですね。
    僕も大輔への謝罪、感謝、報告…、山程はなしたいことがあります。

    大輔に逢ったときに、理由を聞いてみようと思います。
    その時、彼がちゃんと僕だとわかるように、心と体のアンチエイジングに励もうと思います。

    09/02のツイートまとめ】へコメントをお寄せいただいた方へ

    そうそう。
    曼珠沙華を英語でリコリスと言います。
    というか、リコリス族の内真っ赤なものが曼珠沙華、彼岸花というのではないかと、僕個人は思っていますが。

    「曼珠沙華」と聞くと、山口百恵の曲を思い出します。
    ♪白い花さえ真っ赤に染めるぅぅぅ

    == youtube/ 山口百恵 - 曼珠沙華(完全版) ==


    カラオケに次に行ったときにで、歌ってみようっと。


    09/15のツイートまとめ】への拍手コメントへ。

    “Singles”もいいんですけど、中島みゆきの歌の奥深さはアルバムの歌々に潜んでいますよ。

    北海道の9月はもう秋です。
    涼しさを感じるようになると、道産子はそわそわしちゃうんじゃないだろうか。
    涼しさのその向こうにある寒さへの準備で。
    秋を愉しむことも確かにありますが、長い冬への備えをしはじめます。
    北国の遺伝子がざわざわとさざめき立ちはじめる月なんです。

    wikiでそちらの街の気候を調べてみたら、そちらの街は冬は雪も少なくすごしやすそうですね。
    思いのほかあたたかそうなんで、ちょっと意外でした。
    2011.09.22 / Top↑

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